A ドラートルと漆原由次郎

2005年3月5日(土)〜4月24日(日)



 ドラートル摺りに依るch.ジャック、ブラックモン、メリヨン、ドービニー、ドラクロアなどの銅版画作品と自作の銅版画等20点。(サンフランシスコ美術館、町田市立国際版画美術館等所蔵)
 漆原由次郎がF.ブラングィンの下絵を木版画に彫り、摺り上げた詩画集の名作「ブルージュ」版画集「10の木版画」「20の北斎漫画風のスケッチ」及び自作の「花」の木版画等55点。(大英博物館、スミソニアン協会、東京国立近代美術館、R.Oムラーコレクション等所蔵)
 途中入れ替えにて展覧いたします。


夕暮れ  ¾¾ リクス付近
ドラートル
夕暮れ
1867年 ・銅版画
8.9cm×14.4cm

アピアン、ジャック・バルテレミ
リクス付近
1865年 ・銅版画
7.1cm×15.6cm
少シミ
刷 ドラ−トル


雌鶏  ¾¾ レダと海老
ジャック、シャルル エミール
雌鶏
1842〜1848年 ・銅版
11.9cm×20.7p
刷り ドラ―トル


ジャック、シャルル エミール
レダと海老
1840〜1848年・銅版
26.7cm×18.8p


曳船の馬  ¾¾ 牛の鋤入れ
ジャック、シャルル エミール
曳船の馬
1840〜1848年 ・銅版
8.5cm×17.8cm
刷り ドラ―トル


ジャック、シャルル エミール
牛の鋤入れ
1845年・銅版
9.0p×17.6cm
状態極良 モノクロ


ブリュージュのヤン・ファン・エイク広場の恋人達  ¾¾ 漁船
漆原由次郎(木虫)
ブリュージュのヤン・ファン・エイク広場の恋人達
1911年・木版画 下絵F.ブランヴィン
37.6cm×49.4cm
状態極良 二人の鉛筆サイン
ニューオータニ美術館「ジャポニズム展」出品
ブランヴィン美術館(ベルギー)所蔵


漆原由次郎(木虫)
塔ーI
1924年・木版画 下絵F.ブランヴィン
17.0cm×21.3cm E.D.250
ニューオータニ美術館「ジャポニズム展」出品


ヴラングィン“スケッチ”「木版画集」18  ¾¾ スイトピー
漆原由次郎(木虫)
ヴラングィン“スケッチ”「木版画集」18
1916年〜1921年・木版画 下絵F.ブランヴィン
E.D.50
サイズ詳細はお電話かE-mailでお問い合わせ下さい。
ニューオータニ美術館「ジャポニズム展」出品


漆原由次郎(木虫)
スイトピー
1910年〜1920年・木版画
30.3cm×20.0cm
摺・状態極良 鉛筆サイン
ニューオータニ美術館「ジャポニズム展」出品
●売却済み


失題  ¾¾ 誌画集「ブルージュ」 夜明けのブルージュ
漆原由次郎(木虫)
失題
1920年頃・木版画 下絵F.ブランヴィン
36.2cm×50.4cm E.D.50
漆原の鉛筆サイン、ブラングィンの刷込みサイン
少焼け、汚れ


漆原由次郎(木虫)
誌画集「ブルージュ」 夜明けのブルージュ
1909年・木版画
38.0cm×49.5cm E.D.50
漆原の鉛筆サイン、ブラングィンの刷込みサイン
大英博物館、ROムラーコレクション等所蔵






 他の作品は、《作品検索&販売》でご覧ください。






オーギュスト・ドラートル

 昨年末1億2470万円で落札され、話題になったピカソの「貧しい食事」初版を摺ったのがドラートルである。

ドラートルの摺り 普通の摺り
ドラートルの摺り 普通の摺り
1904年メッキ前の30部
様々の技法を使っての巧みな摺りで微妙なニュアンスや情緒が盛り込まれ、深い内容を表現している。
クリステーズ.ロンドン2004年11月

1913年ヴォラール版 250+30部
〔旅芸人シリーズ〕15点セットの1点
同じ版でも摺師の技術の巧拙で作品が違ってくる。
オークションエステメイト300〜500万円

 1822年にパリで生まれた。Chジャックとの出会いが、その後の彼の人生を変える。ジャックはこの卓越した技量をもった若い摺師に目をかけ、デッサンや銅版画の技法を伝授した。1843年ジャックを保証人として摺り工房を設立する。独立したドラートルの工房には、名人の噂を耳にした版画家達ブラックモン、メリヨン、フラメング、ホイッスラー、ヘイドン等が訪れ、銅版画の新しい表現を探求する芸術家達の溜まり場となった。やがて1862年の腐蝕銅版画家協会の設立へと結実し、19世紀後半の銅版画のルネッサンスへとつながってゆくのである。
 ドラートルの摺りは依頼した作家の想像した以上に作品の表現力を高め、深い味わいのある画面を創造した。摺りの調子が作品ごとに異なる版画が「印刷物」でなく1枚1枚が独立した「美術」であることを世に問う形となった。
 当初は好意的だった版画家達の周りに余りにも高度な摺りで思惑を超えた作品の出来ばえに異を唱える者が現われ、やがて評論家や版画家の苦言が名人ドラートルの名を歴史から消していった。この不出世の摺師は、1907年に終生愛したモンマルトルの地で、85年の生涯を閉じた。


シャルル=エミール.ジャック(1813年パリ〜1894年パリ)

 バルビゾン派の画家達の中心画家、友人のミレーを誘って、ペストの流行するパリを逃れ1848年バルビゾンに移り住む。二人は隣接する農家に家族共々住み同じアトリエで制作した。裸婦を描いていたパリ時代の売れない画家ミレーに田園や農村等自然風景の美しさを示唆したのはジャックであると言われている。ジャックの描く鶏や羊等の作品は人気を集め、ミレーの作品より高い値で取引された。やがて商才にも長けていたジャックは養鶏や出版業、不動産売買も手掛け、多くの富を得た。それがために仲間から疎遠にされ、評論家からは疎んじられようになる。
 1867年にルソーの葬儀を皆と共に執り行い長年にわたったミレーや他の画家達との仲違いもようやく解消した。
 晩年の1889年の万博で絵画部門金賞、版画部門大賞を受賞する。
 弟子のドラートルを摺師の第一人者に育て、銅版画ルネッサンスの先導を務めた功績は大きい。

                              平成16年12月 茜画廊




漆原由次郎(木虫)

 1889年(明治22年)東京で生れた。若くして兄2人と共に摺師に弟子入りする。祖父は書家でもあり、独学で摺りの技術を習得して東洋美術を専門に紹介する出版社、審美書院で働いたと言う職人の家系である。
 1907年漆原は初めてギリシャを中心にヨーロッパを旅した。1910年ロンドンで日英博覧会が行われ、日本の文化が紹介されて大変な話題となった。この時日本の木版画技術を紹介するデモンストレーターの一人として渡英した。これが1941年まで続く西洋での長期滞在の始まりであった。驚異的な木版画の優れた技術を認められた漆原は一人英国に残って、江戸期の光琳、北斎等の本画からの復刻を大英博物館から依頼され、後に大英博物館の嘱託となる。
銅版画家でもあったブラングィンと漆原の最初のつながりはローレンス.ビニヨン(1869年〜1943年)が関わったのではないかと思われる。ビニヨンは詩人でありイギリスの東洋美術研究の第一人者であった。
 ブラングインと漆原は、ビニヨンの6つの詩を含めた詩画集「ブルージュ」を1919年に出版している。その後も1924年に木版画集「10の木版画」1940年に2人の最後の共同作品である木版画集「ブラングインのスケッチブックより」を出版しておりいずれもビニヨンが序文を書いている。
漆原はブラングインの作品の複製を制作していたのではない。2人の共作の殆どは、ブラングインが木版画製作のために下絵を提供し、漆原が彫、摺りを担当するという、絵師ブラングイン、彫、摺師漆原由次郎の作品である。
 漆原も自身のデザインを起こしたオリジナルの木版画を制作した。主にモチーフにしたのは花瓶に活けられた花を描いた「静物」「風景」である。そして同じ作品でも背景の色を変えて摺り,そのバリエーシュンを楽しんでいる。この漆原の木版画を含め、漆原の起こした木版画は、イギリスで人気が高く、当時のメアリー女王やチャーチル首相等もそのコレクターとして知られる。
 1939年に勃発した第2次世界大戦では敵対関係にあったため漆原は帰国を余儀なくされる。1940年英国を発ち翌年に帰国した。
30年近く続いたヴラングインと漆原の共同制作は戦争によって終止符がうたれたが、今も作品の中には2人の友情が熱く息ずいている。ヴラングインと漆原の木版画は、まさに 「東西芸術の奇しくも幸福な協力の賜物」である。
                                                     帰国後の漆原は時局柄仕事もなく生活の為に1日中絵馬を摺っていたと言う。1953年(昭和28年)東京にて没。


ブラングイン.フランク.ウイリアムス
   (1867年ベルギー1965年イギリス)


 1877年よりロンドンに住み、サウス、ケンジントンの美術館で学ぶ。1884年迄W.モリスのもとでタピストリーの下絵を描く.ヨーロッパばかりでなく東洋も歴訪。1919年ロンドンの王立アカデミーの会員に推挙される。歴史的、寓話的、日常的主題を扱い壮大な壁画、工芸品、リトグラフ等を制作したが、最も優れた作品が多いのは版画である。〔エルミタージュ美術館名作展1999年より抜粋〕
 1890年代「アラビアンナイト」等、挿画をブラングィンが担当するとその名はヨーロッパ中に広がっていった。1890年ロンドン郊外のハマースミスにアトリエを構えた。壁画の依頼が増えエッチング製作を始める。現在の東京国立西洋美術館の所蔵作品の基礎となった膨大なコレクションを築いた松方幸次郎との交友が始まったのもこの頃である。
 労働者、橋等を描いた銅版画、漆原由次郎を知り数々の木版画の名作を残した。1952年彼の470点の作品がロイヤルアカデミーに展示された。これはアカデミー史上初めての生存会員の回顧展であった。その作品は大英博物館、カナダ国立博物館、スミソニアン協会、ブラングイン美術館、ROムラーコレクション、エルミタージュ美術館が所蔵。

 ドラートルの摺りが再評価され、ニューオータニ美術館が〔ジャポニスム展〕で漆原とブラングインを紹介し、漆原由次郎の木版画(画 ブラグイン)が1点だけで有ったが東京芸大美術館[HANGA東西交流展]〜2005年1月13日に出品され摺師がいかに版画の出来ばえに貢献していることが一部の人にでも解り始めたのは嬉しいことです。
 何故か美術史の世界から消去されていたchジャック、ドラートル、漆原由次郎、ブラングインもいつか日本でも正当な評価を受ける時が来るだろうと思います。
 「版画の国日本」の版画家諸氏の今一層の努力を期待しております。

                              平成16年12月 茜画廊




茜画廊
三島市東本町1-15-1山川ビル2F
Tel&Fax 055−971−9823

E-mail : info@akanegarou.com


もどる

トップページヘもどる