ドラートル

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ピカソ〔貧しき食卓〕 ¾
ドラートルの摺り (ピカソの貧しき食卓)

1904年メッキ前の30部
種々の技法を使っての巧みな摺りで
微妙なニュアンスや情緒が盛り込まれ、
深い内容を表現している。
クリステーズ.ロンドン2004年11月
落札価格 1億2470万円
           ピカソ〔貧しき食卓〕
普通の摺り (ピカソの貧しき食卓)

1913年ヴォラール版 250+30部
〔旅芸人シリーズ〕15点セットの1点
同じ版でも摺師の技術の巧拙で
作品が違ってくる。
オークションエステメイト300〜500万円

注)日本にはドラートルの初摺(左図)
はありません。展示されたこともあり
ません。ヴォラール版(右図)は6点
存在が認められます。

オーギュスト.ドラートル (1822年パリ〜1907年モンマルトル)
1822年にパリで生まれた。Chジャックとの出会いが、その後の彼の人生を変える。ジャックはこの卓越した技量をもった若い摺師に目をかけ、デッサンや銅版画の技法を伝授した。1843年ジャックを保証人として摺り工房を設立する。独立したドラートルの工房には、名人の噂を耳にした版画家達ブラックモン、メリヨン、フラメング、ホイッスラー、ヘイドン等が訪れ、銅版画の新しい表現を探求する芸術家達の溜まり場となった。やがて1862年の腐蝕銅版画家協会の設立へと結実し、19世紀後半の銅版画のルネッサンスへとつながってゆくのである。
ドラートルの摺りは依頼した作家の想像した以上に作品の表現力を高め、深い味わいのある画面を創造した。摺りの調子が作品ごとに異なる版画が「印刷物」でなく1枚1枚が独立した「美術」であることを世に問う形となった。
当初は好意的だった版画家達の周りに余りにも高度な摺りで思惑を超えた作品の出来ばえに異を唱える者が現われ、やがて評論家や版画家の苦言が名人ドラートルの名を歴史から消していった。この不出世の摺師は、1907年に終生愛したモンマルトルの地で、85年の生涯を閉じた。


シャルル=エミール.ジャック (1813年パリ〜1894年パリ)
バルビゾン派の画家達の中心画家、友人のミレーを誘って、ペストの流行するパリを逃れ1848年バルビゾンに移り住む。二人は隣接する農家に家族共々住み同じアトリエで制作した。裸婦を描いていたパリ時代の売れない画家ミレーに田園や農村等自然風景の美しさを示唆したのはジャックであると言われている。ジャックの描く鶏や羊等の作品は人気を集め、ミレーの作品より高い値で取引された。やがて商才にも長けていたジャックは養鶏や出版業、不動産売買も手掛け、多くの富を得た。それがために仲間から疎遠にされ、評論家からは疎んじられようになる。
1867年にルソーの葬儀を皆と共に執り行い長年にわたったミレーや他の画家達との仲違いもようやく解消した。
晩年の1889年の万博で絵画部門金賞、版画部門大賞を受賞する。
弟子のドラートルを摺師の第一人者に育て、銅版画ルネッサンスの先導を務めた功績は大きい。

                              平成20年3月 茜画廊





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