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渓斎英泉
  
 寛政3年江戸星ヶ丘に生まれる。姓は池田、名は義信あるいは茂義、号は渓斎、無名翁、 戯作名は一筆庵可候。六歳にして母を失い、継母に育てられる。二十歳にて継母・父ともに 失う。
仕官の望み叶わず、一時狂言作家を志して果たされず。英山の父、菊川英二のもとに寄寓し、 画技を英山に学ぶ。
文化末年(1817)より英泉と名のって作画、一枚物美人画のほか版本挿絵を多く描く。奔放不覊、 酒を好み放埓無頼の生活を送るも、美人画に無類独自の画境を拓く。
文政末年(1829)より画風固定。天保改革以降は著作活動へと傾く。胸痛に苦しみ、寛永 元年(1848)59歳で没す。

2006年5月 茜画廊


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