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吉田博
  
明治9年(1876)〜 昭和25年(1950)

 久留米市に生まれる。はじめ油彩と水彩で出発した吉田博は第一回文展から第三回文展まで連続受賞し、西洋画家≠ニしての地位を確立するとともに太平洋画界のリーダーとして活躍したが、黒田清輝の率いる白馬会との軋轢からしだいに文展、更に帝展など公設展への情熱を失うようになるにつれて木版画への関心を深めることになった。再度の欧米行きで「日本の伝統美として西洋で評価の高い浮世絵のすばらしさを再認識し、その上で伝統の良さを生かした新しい日本の木版画を創造することこそが西洋に日本の美術を認めさせる最も良い手段である」と感じ、「これを作ることが今後の自分に課せられた使命」と自覚したからであろう。第一作は版元渡辺庄三郎から委嘱されて製作した『明治神宮の神苑』(1920)でその後8点を渡辺版画店から出版している。(これらの作品と版木は関東大震災で焼失)
 1924年「新しい日本美術の独自性を打ち出す恰好の手段」と確信し彫版(山岸主計・前田雄二郎)摺刷をみずから監修して木版画の制作に着手した。
 「職人を使うには自分がそれ以上に技術を知っていなければならぬ」といい、自分でも木版の彫成や摺刷の技を研究した。大正昭和のいわゆる創作木版画が技巧無視であるのに比べて吉田博は技巧の粋を投入してしかも優秀な作をもって世に問うた。
 50回70回の摺り重ねで完成した主に風景をモチーフにした光と影を捉えた作品でみずからの世界を確立した。
 『米国・欧州・日本アルプス十二題・瀬戸内海集・富士拾景・東京十二題・動物園・日本南アルプス・印度と東南アジア・関西・桜八題・北朝鮮・韓国・旧満州』等がある。
外国では評価の低い油絵・水彩画は現在でも数多く残っていて、市場にも出回っているが、真に世界が高く評価する下絵・彫・摺の三拍子揃った〔自摺〕木版画は一部の美術館が所蔵しているもの以外は希少で貴重なものになりつつある。
 日本からだんだんなくなっていく吉田博の木版画を収集し始めて10年・・・やっと日本でも少しは認められる様になってきました。
外人相手の土産物、複数できる値打ちのないものと蔑まれ一部の人にしかその素晴らしさが通じなかった木版画でしたが、日本でも小規模ながら展覧会を開催する美術館も出てきました。自国の勝れた伝統文化を疎外し欧米に追随した明治以降の歪められ、間違いだらけの美術の常識がどう変わっていくのか・・・・・?

2002年9月 茜画廊


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